犬のしつけコラム第8回その「NO」を、対話の始まりに。――ドッグトレーニングと生命倫理
犬のしつけコラム第8回
その「NO」を、対話の始まりに。
――ドッグトレーニングと生命倫理
■ 学部生2年、後期日程が始まる頃。自分が所属する研究室を決めるため、学内のあちこちを訪問していた私の手には一冊の本がありました。1985年に刊行された、斎藤茂男著『生命(いのち)かがやく日のために』。新聞連載を通して命のあり方を社会に問い、読者からさまざまな意見が寄せられたルポルタージュです。効率やコスパで命の価値を選別しようとする社会の風潮に、私はどうしても抗いたかった。この本が問い続けたのは「聞こえにくい声を、社会はどう受け取るか」ということだったと、私は読みました。その問いは、ドッグトレーナーとなった今、思いがけない場所で毎日現れます。散歩道の上で、犬が立ち止まるその瞬間に。
■トレーニングの現場で、「受容と拒絶」という言葉が私の頭にふと浮かぶことがあります。
ドラマ『相棒』の「ありふれた殺人」や「裏切者」では、何よりも真実を追い求める杉下右京と、その姿勢についていきながらも、そこからこぼれ落ちる人を見過ごすことのできない亀山薫の姿が描かれています。相手の声を受け取ることは、相手の望みをすべて叶えることではない。けれど、叶えられないことと、その声や理由まで切り捨ててしまうことも、同じではないはずです。
しかし、現代社会を覆う「冷笑」や「思考停止」は、そのどちらをも奪い去ろうとします。
例えば、お散歩で犬が座り込んでしまったとき。
多くの人は「早く行くよ!」とリードを強く引いてしまいます。しかしそれは、犬が必死に発信している「怖い」「もっと見たい」という理由の拒絶かもしれません。目の前の命が立ち止まった理由を、ただの「わがまま」として切り捨ててしまう前にちょっと立ち止まって考えてみてほしいのです。
小さな拒絶(NO)を無視することは、一度や二度では何も変わらないかもしれません。しかし習慣は、感覚を書き換えます。「この程度なら無視していい」という判断が繰り返されるとき、私たちの中で「他者の理由を想像する回路」は、少しずつ、しかし確実に細くなっていく。
犬相手でも、人間相手でも、その回路は共通しています。小さな拒絶を聞き流すことに慣れた先に、大きな叫び声が届かなくなる社会があるとしたら――それは決して、大げさな話ではないと私は思うのです。
例えば、ドラマ『相棒』屈指の問題作・傑作『ボーダーライン』の青年が示したのは、「声を上げること」と「声が届くこと」は別だという現実です。届かなかった理由は、彼が弱かったからではなく、受け取る側の回路が閉じていたからではないか――私はそう受け取りました。リードを強く引くその瞬間、私たちは小さくその回路を閉じています。意識せずに、ごく自然に。
■私が提案するのは、まず「受容」することから始まる対話です。
彼らがなぜ止まったのか。その理由を考え、その時間を共にする。猫スポットを覗きたいという彼らの欲求すらも「環境報酬」という対話の材料に変えていく。
無理やり引かなくても、その小さな声を聴きとることができれば、対処法はいくつも、いくらでも浮かび上がります。
「命を単純化(思考停止)させないこと」
『コールドケース』のリリー・ラッシュが未解決事件に埋もれた「死者の声なき声」を聞くように。『CSI:マイアミ』ホレイショ・ケインが、虐げられた弱者の目線に立ち、執念深く証拠を追い求めるように。
効率では測れない、理屈では割り切れない。
だから、私は今日もバイクのエンジンをかけます。あなたとワンちゃんの「声」を聴き逃さないために。
※追伸
『相棒』の『ボーダーライン』をご覧になる際は、心に余裕があるタイミングで!私はリアルタイムで視聴して以来、まだ一度もフルで観返せていません……!!