犬のしつけコラム第9回その「NO」を、対話の始まりに。――ドッグトレーニングと生命倫理
ESSAY : PHILOSOPHY OF PRISM
第9回:犬の「NO」は、命の対話の始まり
■ 散歩で座り込むのは「わがまま」? いえ、それは愛犬が発した大切な『NO』です。
■ 小さな拒絶を無視し続けることは、他者の理由を想像する『心の回路』を細くさせます。
■ リードを引く手を緩め、立ち止まった理由を共に探る。そこに真の絆が宿ります。
学部生2年、後期日程が始まる頃。自分が所属する研究室を決めるため、学内のあちこちを訪問していた私の手には一冊の本がありました。
1980年代に生命倫理に関する議論の嵐を巻き起こした、斎藤茂雄著『生命(いのち)かがやく日のために』——効率やコスパで命の価値を選別しようとする社会の風潮に、私はどうしても抗いたかった。
この本が問い続けたのは「聞こえにくい声を、社会はどう受け取るか」ということだったと、私は読みました。その問いは、ドッグトレーナーとなった今、思いがけない場所で毎日現れます。散歩道の上で、犬が立ち止まるその瞬間に。
トレーニングの現場で、「受容と拒絶」という言葉が私の頭にふと浮かぶことがあります。
ドラマ『相棒』の神回、「ありふれた殺人」や「裏切者」で、杉下右京が冷徹なまでの知性で隠された真実を暴き、亀山薫が理屈を超えた体温で傷ついた命に寄り添ったように。私たちは常に、知性と感情の狭間で揺れ動きます。
しかし、現代社会を覆う「冷笑」や「思考停止」は、そのどちらをも奪い去ろうとします。
例えば、お散歩で犬が座り込んでしまったとき。
多くの人は「早く行くよ!」とリードを強く引いてしまいます。
しかしそれは、犬が必死に発信している「怖い」「もっと見たい」という理由の拒絶かもしれません。
目の前の命が立ち止まった理由を、ただの「わがまま」として切り捨ててしまう前に、ちょっと立ち止まって考えてみてほしいのです。
小さな拒絶(NO)を無視することは、一度や二度では何も変わらないかもしれません。しかし習慣は、感覚を書き換えます。
「この程度なら無視していい」という判断が繰り返されるとき、私たちの中で「他者の理由を想像する回路」は、少しずつ、しかし確実に細くなっていく。
犬相手でも、人間相手でも、その回路は共通しています。小さな拒絶を聞き流すことに慣れた先に、大きな叫び声が届かなくなる社会があるとしたら——それは決して、大げさな話ではないと私は思うのです。
ドラマ『相棒』屈指の問題作・傑作「ボーダーライン」の青年が示したのは、「声を上げること」と「声が届くこと」は別だという現実です。
届かなかった理由は、彼が弱かったからではなく、受け取る側の回路が閉じていたからではないか——私はそう受け取りました。
リードを強く引くその瞬間、私たちは小さくその回路を閉じています。意識せずに、ごく自然に。
私が提案するのは、まず「受容」することから始まる対話です。
彼らはなぜ止まったのか。
彼らが立ち止まっているのは、世界(環境)と対話しているからです。その時間を共にし、その知性を尊重すること。
猫スポットを覗きたいという彼らの欲求すらも「環境報酬」という対話の材料に変えていく。無理やり引かなくても、心を満たせば犬は自ら歩き出します。
それは、科学的な「行動学」のデータを、目の前の温かい「命の現場」へ還元していく作業なのです。
「命を単純化(思考停止)させないこと」
『コールドケース』のリリー・ラッシュが未解決事件に埋もれた「死者の声なき声」を聞くように。
『CSI:マイアミ』ホレイショ・ケインが、虐げられた弱者の目線に立ち、執念深く証拠を追い求めるように。
私はドッグトレーナーとして、あなたの愛犬が、その子らしく七色に輝く一生を全うするための「伴走者」でありたい。
……そう、常に願っています。
効率では測れない、理屈では割り切れない。
そんな「命の重み」を、単純化しないために。
※追伸:
『相棒』の「ボーダーライン」をご覧になる際は、心に余裕があるタイミングで!私はリアルタイムで視聴して以来、まだ一度もフルで観返せていません……!!
だから、私は今日もバイクのエンジンをかけます。
あなたとワンちゃんの「声」を聴き逃さないために。